熊野本宮大社の観光に行きました!熊野信仰の中心の体験談

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世界遺産の熊野本宮大社を観光したのは、もう既に数年前の事になります。厳粛な気持ちで三山(熊野本宮大社,熊野速玉大社、熊野那智大社)を参詣したのは今でも憶えていますが、其の時の様子を掻い摘んで記載したいと思います。

 

熊野の山々が迫ってきているその合い間を縫うようにして清流の熊野川がゆうゆうと流れていますが、道筋はその熊野川と並行しながら付きつ離れつしながら進んでゆきます。

 

地図によると此れから先は熊野の名勝である有名な川湯温泉や渡瀬温泉があり、更にはこの奥まったところには世界遺産にもなっている温泉場である、今夜の宿泊予定の湯の峰温泉も点在しているのが判ります。

 

特に川湯温泉はその名の通り川を堰き止めて、広大な河の露天風呂の観光としてもよく知られているところです。

目次

大鳥居の前

車は、間もなくして本宮の街の中に入ってきて、いよいよ荘厳な雰囲気が漂うようになって来ましたが、やがて熊野本宮大社が鎮座する大鳥居の前に到着しました。

 

神武天皇の道案内をしたとされる巨大な八咫烏の幟旗がはためいていて、木造り大鳥居が天を指していて、鳥居には「熊野大権現」と記してある。

 

権現とは徳川家康の神号でも知られていますが、日本の神々を仏教の仏や菩薩が仮の姿で現れたものとする神仏習合の思想による神号のことになります。

 

このお社(やしろ)こそが熊野三山の信仰の中心地であり、即ち熊野本宮大社なのです。

 

平安時代からの連綿と続いている「熊野詣で」の総ての参詣道は、この大社を目指しているのです。

 

 

そして、この本宮大社から熊野川又は川沿いを下って新宮の速玉大社や那智大社へと巡るのが、所謂、熊野詣でのことで大昔からの一般的なコースでもあるのです。

 

大鳥居からは立派な石段の参道が連なっていて、年輪の育んだ大きな杉並木が我らを迎えてくれています。

 

社殿

参道石段を登り詰めると向こうに神門が見え、其処を潜ると本当の神域に足を踏み入れることになり、此処からは左右にパノラマのように社殿が広がっていたのです。

 

桧皮葺(ひわだぶき;檜の皮の部分)の荘厳な建物は、何と創建は2000年以上も経っているといわれています。 この社殿は筆者の知るところ島根県が誇る出雲大社の社殿を思わせるのですが。

 

玉垣を廻らした中央には拝殿があって上部には菊の御紋の旗がかざしてあり、天皇家に所縁のあることが判ります。

 

この拝殿の奥には各社殿が数棟立ち並んでいて、日本国の創生の神々が祭られているのです。イザナギ、イザナミ、アマテラス、スサノオ、オオクニヌシなどの錚々たる神々が鎮座しているそうです。

 

 

この後、私達は熊野本宮大社から熊野速玉大社、更には熊野那智大社の合わせて熊野三山を参詣しましたが、この熊野本宮大社は全国に数千もある熊野神社の本社主神であり、総本宮でもあるのです。

 

熊野地方と世界遺産について

 

因みに、熊野三山が鎮座している熊野地方とえば紀伊半島の和歌山県が中心ですが、一部は伊勢の三重県や大和の奈良県の一分も含まれていて、主に此れ等の山域地区を指しているようです。

 

此の熊野地方といえば山また山の山に囲まれた果てしなく続く山域が殆んどで、日本最大のパワースポットでもあり、山岳信仰の中心地でもあるのです。

 

従って、大昔から伝説や伝承も多いところで、先ず其の第一は日本創世の神とされるイザナミノミコトがお亡くなりになったところで、三重県の熊野市の海岸沿いには「花の窟」(はなのいわや)という神社がもありますが、此方はイザナミノミコトが葬られた地として有名です。

 

それによく知られているところでは神武創成の頃、神武天皇が東征の折に最終的な上陸地に此の熊野地方の海岸(新宮市)から上陸したとされており、此の熊野を巡りながら大和の地に落ち着き、日本の都を作ったとされております。

 

熊野はまた、太古の昔は闇の国とか、隠の国、黄泉(よみ)の国とも言われていたそうで、死者が行く処とされていたそうです。

 

又、一方では、死者を甦がえらせる地ともされていて、願いがかなうところ、信仰の寄りどころとして1000数百年も前から天皇やお公家さんから普通の庶民まで自然信仰の地ともされていたのです。

 

その信仰の最も対象となるところが所謂、熊野三山、即ち、熊野本宮大社,熊野速玉大社(熊野新宮大社),其れに熊野那智大社ともされているのです。

 

此の地は神と仏と一緒に宿るところとして有名なところであり、所謂、神仏習合の代表的なところでも有ったのです。

 

その後は明治維新で神仏分離が決行されましたが、此の熊野の熊野那智大社においては今も青岸渡寺というお寺さんも一緒に並んで鎮座しているのです。

 

この地方熊野を中心として、長い歴史や文化、其れに国民の信仰の地として、誇るべき自然や社寺等々が文化的景観が文化遺産として世界にも認められ、世界文化遺産として登録されたのです。

 

正式の名称は「紀伊山地の三つの霊場と参詣道」ということで、熊野三山をはじめ、他にも奈良の吉野・大峯、其れに高野山とそれらを結ぶ参詣の道として推薦されたのです。 地域的には和歌山県、奈良県、其れに伊勢神宮を結ぶ三重県にまたがる国内では最大級の文化遺産になったのです。

 

 

 

 

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