「朝が息づく 山が目覚める 奈良の長谷寺は・・」で始まる、現在民間のテレビ放送の行われているJR東海のコマーシャルの一コマです。
奈良の長谷寺は、奈良県内の桜井市にある寺院で、全国に末寺が点在している日本でも有数の観音霊場の総本山のお寺として知られています。
そして、此の寺院そのものも西国霊場の三十三観音の第八番に当たる札所であり、本尊は勿論、各種の観音菩薩の中でもは十一面観音菩薩像に当たります。
個人的には、此の奈良の観音様・長谷寺へ参ったのは数度ありますが、目的は観音信仰というわけではなく、何れも奈良の神社仏閣巡りの一環として観光参拝という形で参拝したものです。
直近で長谷寺を参拝したのは数年前になりますが、此の時には周辺の有名神社仏閣巡りは、大神神社(オオミワジンジャ)、長谷寺、室生寺、橿原神宮や飛鳥寺、談山神社などでした。
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いわき市湯本
ところで、筆者自身は此の長谷寺というのは田舎にいる時分の幼いことから縁のお寺さんで、実は田舎は福島県のいわき市湯本というところで、実家は上湯長谷というところで長谷寺の比較的近いところであり、幼い頃はよくお寺の境内で遊んだものです。
此の寺院は幼い頃から何となく由緒あるお寺であることは薄々感じてはいましたが、大人になってから田舎のお墓参りのときに気がついたのですが、此のときに此の長谷寺は1200年の創建開山記念が行われていて、改めて参拝したものでした。
やはり、ご本尊は十一面観音菩薩で、創建は藤原徳一であると聞いておりました。 藤原徳一といえば奈良時代の高僧で、東北地方の布教のために此方へ長谷寺を建てたとされているそうです。
いわき湯本と言えば、其の名の通り温泉の街で古くは奈良時代に発見開湯されたという名湯で、かっては日本三大古湯ともされていました。
私の住んでいたところは上湯長谷という地区で、長谷寺より上の地区であることから其の名が付けられたとされ、下湯長谷という地区も現存しております。
湯というのは勿論、此の地が温泉の出る地域ということに由来していると思われます。
次に、筆者が現在住んでいるところは神奈川県厚木市というところですが、此方も市街地ハズレの山間の一角に、桜の花の名所としても知られる飯山地区にある「飯山観音」という長谷寺があります。
坂東三十三観音霊場の第6番
此方は我が家から車で5分ほどのところですが、此方は長谷寺(はせでら、ちょうこくじ)とも称して関東地方に点在する坂東三十三観音霊場の第6番に当たる札所にあたり、山号は飯上山、そして本尊は十一面観世音菩薩になります。
此方も創建は平安時代の初期に建てられたそうで、古い歴史を持っていますし、周辺は自然豊かな公園施設も併用してあり、神奈川景勝50選のの一つにもなっていて厚木市の観光名所にもなっています。
我が家では特に観音信仰はしてはいないが、子供のためのお七夜や七五三のお祝いには、此方の長谷寺でご祈願などおしてお参りします身近な観音さまです。
更に、神奈川県には相模の国として、鎌倉時代の頃は日本の政庁の地であった「鎌倉」がありますが、此方は歴史ある鎌倉と風光明媚な江の島などの観光の名所でもあります。
坂東三十三箇所の観音霊場巡りの第4番
鎌倉にも長谷寺観音(長谷寺 はせかんのん)というのが立派な寺院が御座いますが、此方は坂東三十三箇所の観音霊場巡りの第4番の札所として知られています。御本尊は十一面観音で創建開山は奈良時代とされていて建立は高僧の徳道上人とされています。
長谷観音は鎌倉市内の長谷地区にあって、通称は長谷観音と称されて坂東札所の観音菩薩としては最高のものとされております。
この地域は鎌倉でも八幡宮についで賑わうところで、近くには鎌倉の観光名所の大仏殿(高徳院)もあり市内でも観光のメッカとしていつも賑わっています。
長谷寺はその長谷地区の海岸に面した高台にあり、本堂境内の広場からは湘南の海や江ノ島が一望のもとに見渡せ、正に絶景のところです。
鎌倉の長谷観音を創建開山した高僧の徳道上人は播磨の国の人で、大和の国(奈良県)の弘福寺の住職・道明上人(どうみょう)の弟子ともされています。
同時期には当時は道明のもとで奈良の初瀬山に長谷寺(元祖・大本山)を創建したとされています。
奈良の総本山とされる「長谷寺」
さて、奈良の総本山とされる「長谷寺」ですが、訪ねたのは初夏の5月上旬の頃で牡丹の花が咲き競う絶好の時期でした。
直ぐ西側に位置する大神神社を巡ってから車で向かいましたが、初瀬というところへ至ると、其処は既に厳かな雰囲気に包まれていて、参道が既に見えています。近鉄の長谷寺駅もありました。
参道入口の長谷寺の駐車場に車を停め、長谷寺の入口から参道向けて進むと初瀬川に沿って長いお土産屋さんや飲食店の多くが並んでいます。
そう言えば、長谷寺の手前の三輪地方は三輪素麺の名産地としてもよく知られたところですね。
お土産は帰りにして先を急ぐと左に大きく曲がって坂道を登ってゆくと、やがて、仁王門にたっしますが、此方で拝観料金を支払います。
仁王門を潜ると重要文化財の屋根付きの回廊、実名は登廊 (のぼりろう)と言うようですが、其処から愈々本堂に進みます。
主なルートとしては主に国宝を含む建造物になりますが、仁王門、登廊、長谷寺、宗宝蔵本堂、五重塔、大黒堂、開山堂など、その他にも伽藍群が多数あって時間によっては隈なく拝観すると、2から3時間はかかると思われます。
特に長谷寺本堂は外舞台ともいって京の清水寺ほどではないが展望舞台があって大和の三輪あたりの展望が非常の良いことです。
また、長谷寺は花の寺とも言われていて、私達が訪れたのは丁度牡丹の花が盛りであって、登廊の左右の庭園には見事な景観が楽しめます。
長谷寺では特に、登廊の周辺は見事な庭園になっていて、牡丹や紅葉が見事であり、時期になるとボタン祭りや紅葉では抹茶席も用意されているそうです。
勿論、此方の奈良の長谷寺と言えば前記したような全国に散らばる末寺の長谷寺の総本山とされています。
この寺院には天平時代の国宝とされる十一面観音が祀ってあり、所謂、観音霊場、信仰の中心的菩薩でもあります。
特に、奈良・平安時代の頃は此れ等の多くの仏像の中でも大衆の信仰心を最も強く受けてきたのは観世音菩薩であり、特に十一の面相を持つ十一面観音は、他の観音菩薩よりもより強大なパワーを持つと信じられていたそうです。
その本尊である十一面観音の観音信仰の中心は、何と言っても「長谷寺」であるが、その根本堂となるのが大和の初瀬川の「長谷寺」なのです。
元より、初瀬川は古来より聖なる川といわれ、初瀬は「はつせ」で「はせ」でもあり、生じ転じて「長谷」になったとされるのです。初瀬川は長谷川でもあり、此の地の長谷寺でも有るのです。