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北海道への卒業旅行

私が大学4年生だった平成4年(1992年)の夏休みも終わりに差し掛かったときの、9月の前半のことでした。学内でいつもつるんでいた友人2人と、ささやかながら卒業旅行を兼ねて北海道へ行ったときのことでした。深夜前に新木場からフェリーは出発し、夜が明けたころにはすでに雲行きは怪しく、うねりも高く、そして船もよく揺れたものの、予定通りにおよそ36時間かけて釧路に上陸することができました。しかしこのとき、台風17号も北上しており、天気予報では、まるで私たちが乗ったフェリーの後を追いかけるような、予想進路が報じられていました。

台風接近

私たちは、釧路からレンタカーを借りて釧路湿原に立ち寄り、さらに北上して、網走を抜け、知床のユースホステルで2連泊をしながら、知床の自然を満喫する予定でした。ところが台風17号は、フェリーの中のテレビで見た天気予報の予想通り、私たちが進むのとほぼ近いルートで迫ってきたのでした。北上するにしたがって、雨足はますます強くなってきました。網走刑務所を見学後、国道244号線を斜里方面へとレンタカーを走らせたときには、バケツをひっくり返したような雨が降り続け、風もだんだんと激しさを増してきました。急いで知床にたどり着こうと、私たちは、激しい雨の中、車を飛ばしました。

台風の猛威

2車線の国道も、ところどころ冠水していて、走行車線を走っている大型トラックが、水しぶきを上げながら走っているところを、フロントガラスがその水しぶきで見えない中、追い越し車線をアクセル全開で追い抜いたりと、ヒヤヒヤしながらも、一刻も早く知床のユースホステルを目指そうとしました。ようやく国道244号線の海岸沿いにたどり着いたところで、バリケードが2つか3つほど立っていて、道を塞いでいました。けれども私たちは、予定通りに知床を目指すことしか頭になかったので、そのバリケードをよけて、その先を突き進もうとしました。その突き進んだ先の土手を見ると、何と崩れているではありませんか!?さすがに私たちも「これはやばい」と思い、引き返すことにしました。

 

 

結局、知床には迂回ルートで行っても、予定到着時刻には間に合わないと予想がついたため、公衆電話から知床のユースホステルはたどり着けない旨電話して、手前の斜里のユースホステルが泊まれないか確認したところ、泊まることができたので、そこで一泊することにしました。斜里のユースホステルは、私たちに追いついた台風17号による激しい雨のせいで、ところどころ雨漏りがして、なかなかの年季が入った、味わい深いユースホステルでした。

風雨が吹き荒れ、ところどころポタポタと雨漏りのする音を聴きながら、宿泊者がみんな集まって観たテレビ番組は、台風情報ではなく、日本武道館で行われたWBA世界ジュニアバンタム級タイトルマッチの鬼塚選手vs松村選手の試合だったことと、そして、管理人さんの北方領土についてのレクチャーが大変面白かったことが、印象に残っております。

台風その後

翌日は台風が通り過ぎ、天気が回復したものの、依然として風が強く、国道244号が不通のままで、知床方面へは迂回して向かいました。その途中でも、山道を登ったら、対向から自衛隊のジープがやってきて、「危険なので引き返すように」と隊員さんから言われて引き返してみると、崖側の路肩が崩れていてガードレールが宙に浮いている箇所があったのに気が付いて、またもやヒヤヒヤしました。けれども、何とかその日のうちに、無事知床のユースホステルに到着することができました。若さゆえの無茶ぶりではありましたが、別の意味において、自然(の怖さ)を満喫できた旅行となりました…。

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