鳴子温泉の観光体験談!歴史のある温泉

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鳴子温泉について、わかる範囲で歴史などを示し、観光体験談をご紹介します。

 

目次

山形から宮城の鳴子温泉への途中で

 

もう既に数年前になります。現在は神奈川県厚木市に在住していますが、今は亡き母の実家が山形の朝日町というところの田舎の出で、そんな母の誕生地であり所謂、筆者の実家を東北の旅行のときに訪ねたことがあったのです。

 

その後は、山形でも有名な観光地でも有る信仰の地、修行の地でもある出羽の三山などの山形の観光を巡りながら、次の日になって山形の新庄というところから国道47号線(羽後街道)を利用して県境からそのまま宮城県方面へと向かったのでした。

 

県境には奥羽山脈を横断するかたちになりますが其の境が中山峠というところでした。

 

この峠、また街道は古くから山形と仙台を往来する街道で、江戸期の頃には特に人物や物流ルート、そして庶民の旅のルートとしても使われたらしく、其の宮城県側には県を代表する温泉郷でも有る「鳴子温泉」へと通じる道でも在ったのです。

 

そして其の峠付近には此の街道の象徴的なところがありました。其の地は当時の仙台藩が尿前の関(しとまえのせき)といわれる関所を設けていたところでもあったそうです。

 

其の地は、江戸期の頃に松尾芭蕉が宮城から山形へ向かう道中でもあって、其の奥の細道での道中日記によれば、峠付近の「封人の家」に寄ったことが記されてあるのです。

 

其の地は、関所番人宅である有路家と言う家で、通称では「封人の家」と呼ばれているのです。

 

「奥の細道」日記に記されているのは、当日は大雨のために身動きが取れず、仕方なしに2泊3日、此の家に滞在したそうですが、此方で俳人らしく芭蕉は」有名な一句を残しているのです。

 

「蚤・虱(のみ しらみ) 馬の尿(しと)する枕元」

 

此の句からも、此の仮の宿へ泊まった芭蕉は、寝泊まりするには余りいい環境ではなかったことが伺えますね。芭蕉は此の後、出羽の国の山形へ到って各地を巡りながら長期滞在していて、有名な俳句を数多くのこしています。

 

因みに、封人の家というのは国境を監視する守役人の家のことで、現在も封人の家の記念館として残されていて、観光名所の一つになっていますね。

 

 

さて、我らは山形から堺田町にある封人の家を見学の後に、中山峠を超えていよいよ宮城県の鳴子町へと入り県内でも有名な広域に広がる鳴子温泉郷に到りました。

 

我らが訪れたのは5月の新緑の頃でしたが、此処鳴子温泉郷は秋のシーズンは紅葉が素晴らしく、多くの観光客が温泉と紅葉を愛でるために人々でごったがえすどころでもあるのです。

 

勿論、此処鳴子温泉郷はコケシの名産地としても全国的に有名なところでもあり、街道には大きなコケシや街道の各所には其のコケシに関する展示資料館などもありました。

 

 

鳴子温泉郷の一つ鬼首温泉の間欠泉センター

 

我等は鳴子温泉の温泉郷の中心街を右に見ながら、人気の有る鬼首温泉の吹上温泉間欠泉へと向かいました。江合川の大橋を渡り北へ5~6km行ったところ、急峻な荒雄岳の山麓に其の鬼首温泉があり、その更に奥まった一角に間欠泉の吹上温泉がありました。

 

我らが拝見したのは「弁天」という吹上泉で、豪快に音を立てて一直線に吹きあがる様子は、まるで巨大な水柱を見ているようで、高さにすると20メートルほどは有ったでしょうか。

 

此の間欠泉は地下の溜まった温泉のお湯が穴に閉じ込められ、次第に圧力が増してきて耐えきれなくなったところで吹き出すそうで。

 

実際のところ時間的にすると吹き上がっている時間は短いが、その間隔は凡そ10分ほどでお湯が噴きあがりました。

 

間欠泉とは名前の通りで、説明板によりますと概ね一定の周期時間で温泉の蒸気や熱湯を噴き上げる温泉のことで、こちらの間欠泉は、山の懐に抱かれたように「雲竜」と「弁天」という2ヶ所があり、時間的には10から20分前後の間隔で温泉が吹き上げるそうです。

 

直ぐ間近で吹上の間欠泉を見物した後は、其の直ぐ横にある露天風呂に向かいました。湯帰りの男性客に、「温泉はどうでした」と一声伺うと、「いい湯だったよ、温泉好きな人に是非お勧めだべな」と宮城訛りで進言してくれました。

 

此方は混浴の露店風呂でさすがに真っ昼間ということも有って上さんは(妻のこと)遠慮しましたが、此方は入浴料とは言わず入園料というのを支払って早速、湯船に浸かります。 山形での旅の疲れもあって何とも気持ちがいい。

 

広くて大きな浴槽は、途中でヨシズで囲まれた部分とに分れているようで、野外部分は人の通れる通路にもなっているたあめに、まるまる丸見えのところもあります。

 

つまり見え見えなのでチョットスリリングでも有り、やはりというか、さすがに女性はいなかったようです。

 

ところで、此方の混浴の大露天風呂は女性は夜間限定であろうか、と思案したところ、実はこちらの浴槽は開業時間は何と夕方4時で終了とありました。

鳴子温泉は鳴子温泉郷の一つ

 

ところで鳴子温泉というのは鳴子温泉郷の一つで其の中心にもなっているところですが、鳴子温泉の他にも東鳴子温泉や川渡温泉、峠に近い中山平温泉、其れに鬼首温泉(吹上温泉)などの大まかには5ヶ所の温泉地から成っている温泉郷なのです。

 

温泉場としては其れ其れに個性ある温泉街や街並み、其れに公衆のための温泉浴場を備えており、比較しながら温泉巡りをするのも楽しみの一つでしょう。

 

温泉の開湯は古く、平安期の9世紀の初めとも言われていて、言い伝えによると何でも源義経と静御前の子供の産湯に使われたことから「鳴く子」が転じて「鳴子」となったという伝承があるそうです。

 

其の名の通り鳴子温泉は昔から、仙台郊外の秋保温泉同様に古くから「奥州の三名湯」ともいわれているそうです。

 

其の鳴子温泉は5ヶ所の温泉地の中でも最も規模が大きく、大きなホテルから個人経営の小さな旅館までの宿泊施設や土産物店、食事処、遊技場が賑やかな街並みを造っています。

 

其れに「滝の湯」などの二つの共同浴場は、此の温泉街のシンボルにもなっているし、羽後街道が隣接する鉄道駅(奥の細道湯けむりラインという)駅前には足湯や手湯もあり、夕刻ともなると浴衣に下駄履き姿の観光客が、カラン・コロンと「下駄の鳴子」で温泉街を巡るというキャッチフレーズもうちだしています。

 

前述しましたが、鳴子温泉はコケシの産地としてもしられます。「鳴子コケシ」の特徴でも有る首を回すと「キュッキュ、」と音がするので、「鳴子」という説もあるとか、鳴子コケシは体の中ほどが細くなっていて、其の体には菊の花を描くのが特徴ともされているようです。

 

 

 

 

 

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