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正義のセの最終回の事件は、被害者が死亡した事件の被疑者が正当防衛を主張しているという難しいものでした。しかも、被疑者の父親が現役の衆議院議員という権力をもつ相手ということで、マスコミを利用して息子の早期釈放を訴えるアピールや、直接事務所を訪れて圧力をかけます。

 

検事には独立性が認められているとはいえ、さまざまな権力者からの圧力や、民意の動向によっては判断する際に恐怖を感じるのだろうと想像させるものでした。警察の調書から疑問を感じた点を検事が検証して、無実の人を罰しない、冤罪を起こさないという覚悟を感じさせると同時に、人を裁くことの難しさを感じさせる最終回だったと思います。

 

当初、被害者が前科のある板前で包丁を持っていたことから、議員の息子が絡まれたことで身を守るために夢中でもみ合いになった結果として、殺してしまったという主張が、あたかも真実のように感じられます。

 

しかし、凛々子は、その話を信じながらも、被疑者や被害者、双方の周辺の人物から聞き込みを行い、両者の人間性にも目を向けて事件の真実を追求しようとします。

 

実際の検事が、ドラマのような聞き込みや実況見分と呼ばれる作業をどこまでするかはわかりませんが、現場を理解するためにさまざまなアプローチをすることは理解できました。正義のセのドラマ内で、一人の検事が一つの事件で困難にぶつかった際には、相談に乗ったり、協力する関係には、普通の会社の仕事と同様なものを感じ、意外でした。

 

検事役の凛々子が、初回から徐々に検事として成長し、先輩検事からの指摘を取り入れながら、事件に正面から向き合い、そこに関係した人の本質を見ようとする姿には、初々しさと検事という職責に真剣に向き合う姿が伺えました。

 

正義のセの最終回の終わりで、現役の衆議院議員役の宅麻伸さんと対峙して、被疑者の自供を伝える場面では、検事としての覚悟に満ちたセリフには、説得力を感じました。

 

検事のような人は、その判断によっては人の人生を簡単に変えることが可能で、時には人の命を奪ってしまう可能性さえ秘めていることを感じさせます。

 

正義のセの最終回での凛々子には、その厳しい判断を求められる検事の職責を外圧に左右されることなく判断しようとする覚悟が感じられ、初回とは別人のような言動が感じられました。職責によって人は変わるということを、このドラマでは痛切に感じられ、正義が正義として貫かれる清々しさを感じました。

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