南房総地方の観光旅行!子供も楽しむ体験談

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確か数年前の晩春初夏の頃だったか、房総半島の南房総を休日を利用して子供たちと一泊の観光旅行のへまいりました。南房総地方の観光旅行の体験談をご紹介します。

 

在住が神奈川県なので当然ながら川崎側と木更津側を結ぶ有名な「アクアライン」から内房沿いより館山市内へ出て、更に館山から外房側の千倉に至りました。

 

ところで、千葉県の南房総といえば館山市を囲むようにして南房総市という行政区域がありますが、南房総の観光といえば広い意味の南房総地域、即ち館山市を中心とした鴨川市や南房総市、鋸南町等の房総半島の南部地域を指したほうが一般的でしょう。

 

此の地域は東京湾の内房や太平洋側の外房などの三方を海に囲まれる地域と内陸側は300m前後の山々が連なり、機構的にも太平洋の黒潮等の影響で、冬季でも比較的温暖な気候恵まれているのが特徴です。

 

此のように、本地域は自然や風土にも恵まれていて人気の観光地も沢山あります。自然環境を守りながら観光客や子供たちにも大いに楽しんでもらう地域観光も期待されているのです。

 

アクセスとしては、東京方面からはアクアラインからつながる東関東自動車道館山線など、都心や京浜地区からの利便性があり、又、圏央道から県内や南房総方面へも各主要都市や観光拠点等を結ぶアクセスが良くなっているようです。

 

 

目次

千倉の料理の神・高家神社

千倉から白浜に至るの海岸に沿ってゆくと「房総フラワーライン」というお花の美しい道路を進むと、途中海岸沿いには道の駅の「潮風王国」というのがあって、此方もその名の通り千倉名物のお花畑が広がっていました。

 

直ぐ近くには日本でも唯一つとされる料理の神様を祀る神社が有りました。

 

其処は高家神社という立派な本殿を構える神社が鎮座していて、この神社は何と創建から既に1200年以上も経ている古社だそうで、日本国内でも唯一つ「料理の神を祭る神社」だそうです。

 

祭事期になるとTVでもお馴染みの「庖丁式」というのが行われていて、所謂、日本料理の原点が此処にあるそうです。

 

 

 

房総の鼻・野島崎灯台の観光

 

次に向かったところは波風が激しく打ち寄せる房総半島の先端に有る野島崎です。チョット前までは白浜という地域名でしたが、今は南房総市の白浜ということになっているそうです。

 

岬の先端には野島崎灯台が立っていて野島崎沖を照らしています。野島崎沖というのは勿論、太平洋から東京湾の出入口にも相当していて重要な航路でもありますね。

 

航路には大型、小型の船の往来が激しく行き来しているところでもあります。又、此の海域は黒潮の海流や打寄せる波浪も激しいところで、一昔前までは時折ニュースにもなる海難事故の多発する海域としても知られていますね。

 

安房一宮の房総・安房神社の驚くべき歴史

 

次に向かったのが館山の有名な安房神社で、千葉房総との成り立ちをも物語ってる安房一ノ宮の房総・安房神社です。神社は国道410号が洲崎方面に分岐する相浜地区という山中にあり、地域の名前としても館山市大神宮という町名が付されているのです。

 

境内は、周囲をうっそうとした樹林に囲まれ、其の中心には安房一の宮らしく、堂々として拝殿、檜葺の本殿が鎮座していました。安房神社の由緒伝承によると、阿波の国(四国徳島)から阿波の忌部氏の一部を率いて房総半島に渡っきてこの地へ上陸した際、此の国を「安房の国」(あわのくに)と名つけて、此の地に社を構え創建したとされているらしいのです。

 

祭神は、天太玉命を主神とし、安房国は四国阿波の忌部氏が開拓した土地とされていて、この神はその祖神でもあるとさあれているそうです。

 

子供たちもはしゃいだ鋸山の観光

 

帰り際に時間に余裕があったので子供たちも喜びそうな鋸南町の鋸山(ノコギリ山)へ出かけた、ロープウェイからは東京湾や三浦半島が一望の下に見えていて、展望は抜群であったし、子供たちも大喜びだった。

 

鋸山の山肌を似ると岩肌が垂直に切り立っていて、子供たちにも恐ろしく見えるであろう。

 

この山は江戸の昔から建築などの資材として適している岩で石切り場として江戸時代の頃は盛んに切り出していてと言う。 岩石は房州石と呼ばれ、切り出されて露出した山の岩肌が鋸の歯状に見えることからその名が付されされたらしい。

 

この山には頂上には日本寺という大きな寺院が有って、この鋸山全体がお寺の境内でもあるという。見所は山に彫られた日本寺大仏や百尺観音、千五百羅漢、其れに岩が空中に飛び出している「地獄のぞき」などがありました。

 

千葉県外房の地名について

 

ところで此の地域には面白いことに気が付いたのですが、其れは千葉県内の同名の安房については前述しましたが、千葉の勝浦は和歌山の南紀勝浦、又は紀伊勝浦、其れに白浜(南紀白浜)といった名称があるのに気がついたのです。

 

其のことについて興味を持っていろいろと調べてみましたところ、此れ等の名前は由来は実は、和歌山県の名前から由来している事に気が付いたのです。 更には千葉県でも房総のことを安房とか内房、外房などともいいますよね。

 

この安房というのは当然ながら四国の阿波に通じていますし、思えば和歌山と徳島は海を隔てたお隣の県でも有り、太平洋の海域に面していることで共通しています。そして此の安房(あわ)は阿波(アワ)はからきたている名前らしいですね。

 

更に、和歌山の印南地方、印南町というのは日本の調味料である味噌や醤油の発祥の地であり、気がつけば千葉の銚子の醤油はやはり南紀の印南地方から伝わってきたと言われます。

 

千葉県の特に房総でも太平洋に面した外房地方は、その昔、四国や和歌山の人々が黒潮ルートに乗って鰯(いわし)や鰹(かつお)等を追ってやってきて、その内に千葉県内に移住し住み着くようになって、更には房総から関東一円を開拓したと言われているようです。

 

特に、銚子市の人の何割りかは醤油の製法などを伝えたとされる和歌山県人達の末裔がいて、今でも夏になると先祖の墓参りに戻る人がいるといいます。

 

更に、館山の岬に鎮座する「安房神社」は阿波の四国から勧請された神社ともされていて、その祭神である神々は千葉の房総を開いた神としても有名な神社で、今でも安房の国の一宮として尊崇を集めているとされています。

 

千葉県は古来より和歌山や四国の人々や神々との深い繋がりがあったのですね。

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