広島平和記念資料館の観光体験談!行く前と行った後の心境の変化

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私は小さい頃から「広島の原爆」に対して少し関心がありました。

「日本の歴史の中に刻まれた大きな傷跡は、どうして起こってしまったのだろう?」「原爆の被害って実際どんな感じだったんだろう?」という疑問から始まり、小学生の時に図書館で「はだしのゲン」の漫画を観て、あまりにも衝撃が大きく関心を持ったのがキッカケでした。

 

漫画の世界は小学生だった私には、あまりにも衝撃的過ぎて休み休みでなければとても耐えられないものでしたが、一方で「本当に人はここまで悲惨な事になるのかな?漫画だから少し大げさに描いているのかな?」という疑問も少しありました。

 

目次

「広島平和記念資料館」との出会い

そんな気持ちも漫画を観終わると、次第に忘れていっていました。社会人となった私は友達と広島に旅行に行くことになり、広島の観光地を友達と探しているときに「広島平和記念資料館」という文字が目に入りました。

 

瞬時に小学生の時に観ていた「はだしのゲン」が蘇ってきて、友達に「学校の校外学習みたいだけど、この広島平和記念資料館に少しだけ行ってもいい?」と思わず言っていました。

 

友達も行ったことがないしせっかく広島に行くからということで、他の観光地の合間に入れてもらえました。

 

小学生の時に抱いていた関心が再び蘇り、他の観光地にも行くのに広島平和記念資料館に行くことを考えたら、「行きたいけど少し怖い。でも、漫画の世界は本当にあったのだろうか。」と自分でもうまく気持ちの整理が出来ていないまま、広島旅行当日になりました。

広島平和記念資料館の体験談

広島旅行が始まれば友達といつものように楽しい会話で弾み楽しんでいましたが、観光の合間に入れていた広島平和記念資料館に着くと、私は思わず生唾を飲んでしまうほどなにか大きな想いを感じました。

 

いざ資料館の中に入ってみると、清潔感もあり建物自体も大きくて開放感もあるので、知らず知らずのうちに私の中の「怖い」というイメージは少しずつ消えていきました。

 

映像や被爆者本人が証言

広島や長崎に落とされた原爆について書かれている本がたくさん並べられていたり、当時の貴重な資料として残っているものが展示されていたので、同じ時間帯に資料館に入った修学旅行生と同じように私たちも学ばせてもらっているかのようでした。

 

広島旅行の観光の合間に入れていたので、本や資料などは少し目を通すだけで済ませてしまいましたが、進んでいけば進んでいくほど内容が濃いものとなって行きました。

ビデオコーナーから流れる声や音に反応して観に行ってみると、広島に原爆が落ちた前と後の映像や被爆者本人が証言している生々しい内容など、観るのも聞くのも辛く悲しいものでした。

 

しかし、私のように原爆の恐ろしさを漫画でしか知らない人や、原爆と全く無縁で生きてきた人にとっては、実際にこんな恐ろしいことが今の平和な日本で起こっていたということを知っていなければならないと改めて思わされました。

 

こんな辛く悲しいことはこれから先も日本だけでなく、世界でも起こってはならないと強く思い、友達と私は思わず涙を流してしまいました。

 

人影の石

その中でもこの広島平和記念資料館に入って、私の中で一番印象深いものがあります。

それは、「人影の石」というものです。

 

建物の前に座っていた人の跡で、原子爆弾が投下されて逃げる間もなく焼け死んでしまったものです。

 

この展示物を実際に観たとき、私は思わず目をつぶりたくなってしまうほどでしたが、「これが本物なんだ。」と思いました。

 

漫画の世界だけでイメージしてきましたが、本物を見たことがなかった私にとっては漫画を観ていた時の衝撃以上の衝撃を受けてしまいました。

 

人影の周りの石は原爆の熱で白く焼かれていて、人が座っていたところが人の影で元の黒い色で残っています。

 

この「人影の石」はハッキリと残っているから、この広島平和記念資料館に展示されているけど、原爆によって亡くなった犠牲者は数えきれないほどたくさんいて、そのたくさんの人たちは逃げる間もなく一瞬で焼け死んでしまったと思うと、胸が苦しくて仕方なかったです。

 

この広島平和記念資料館に行く前は、小学生の時の関心を思い出して「実際に観てみないと分からないから、少しだけ行ってみようかな」と半ば興味本位で行ってしまったところもありました。

 

私の心境の変化

しかし、実際に行って本物を観たり触れたりした後の私の心境の変化というのは、180度違うものとなりました。

 

「こんなに辛く悲しいことがあったなんてとても信じがたいけど、全て実際にあったことで、それも同じ日本で数十年前に起こったことだったなんて。」と私の心にも大きく刻まれました。

 

軽はずみな気持ちで行ってしまった私がいけなかったのですが、この衝撃の大きさに圧倒されて涙してしまったことは、後から考えると良かったのではないかと思いました。

確かに広島平和記念資料館に行った直後は、その後の観光地巡りでも気持ちの整理がつかず100%楽しむことは出来ませんでした。

 

ですが、この資料館を作り、いつまでも色あせることなく原爆の恐ろしさを語り継ぐことは、平和な世の中にしていくためには必要な事であって、それを残していかなければまた同じ過ちを繰り返してしまうかもしれないと思えたからです。

 

「私一人がこんな思いをしても、世界は平和にならない」とも思いましたが、「一人でも多くの人に知ってもらわなければ、何も始まらない」と思い直しました。

 

そんな私の広島旅行の一番の思い出は、どこの観光地巡りよりもまぎれもなくこの「広島平和記念資料館」に行ったこととなりました。それほどの衝撃の大きさと、心境の変化があった場所でした。

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