松江城の観光体験談!時間を気にせず楽しみたい場所 

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先ず、島根県で歴史的にも著名な建物、施設というのは、島根県全体が歴史的な意味で地方または都市部の産物や遺跡、遺構などが数多く存在しているところです。特に、松江城は、時間を気にしないで楽しみたいですね。

 

目次

石見銀山遺跡

例を上げれば其の代表と言われるのが出雲地方の出雲大社と言いたいところですが、先ずは世界遺産の石見銀山遺跡が上げられるでしょう。正式な名前は「石見銀山遺跡とその文化的景観」と立派な名前が付いています。

 

世界遺産となった石見銀山遺構は、室町時代の16世紀以降のもので遺産そのものは産業遺産として認知されたもので、世界の産業遺産としては最も古く、もちろん日本では始めての登録遺産となるのです。

 

筆者は、此の島根県の海岸沿いを旅の途中、世界遺産の石見銀山遺跡や出雲大社、そしてスサノオの大蛇(オロチ)伝説の発祥の地ともいわれる斐伊川、そして斐伊川が流れ込む夕日の美しいといわれる宍道湖などをめぐって、島根県の中心都市・松江に達したのでした。

 

宍道湖

時間がゆっくりと経過します。途中、見晴らしのいい宍道湖で一服しましたが、思えば島根県の松江を中心としたNHKの朝ドラ「だんだん」という物語がありましたね。

 

主人公である松江市内に住むめぐみとのぞみ(主演の通称、マナ・カナの双子の姉妹)の実の父親が、松江市宍道湖のシジミ漁師として画かれていましたね。 因みに、「だんだん」とは、島根県の出雲地方の放言で「ありがとう」という意味で、今でも使われているといいます。

松江城

余談が長くなりましたが、島根県の中心は何と言っても中心都市である松江になりますが、其の松江の象徴とされる場所が「松江城」でしょう。

 

シジミの名産地といわれる風光明媚な宍道湖を過ぎますと松江市街に入りますが、その宍道湖と大橋川に架かる宍道湖に架かる大橋を過ぎるとすぐに高台に「松江城」が、凛々しくも優雅な姿が見受けられます。

 

お城の姿はやや黒ずんでいて同じ信州の松本城(黒城といわれる国宝)を彷彿させるのです。指定の駐車場へ車をとめて丘の上を目指して石段を登ってゆくと、よく整備された生垣の庭園が広がっていて、そこには見上げると威風堂々の天主と城郭が天を指しています。

 

内部を伺うと支柱や構造材は全てが木造造りで、当時の築城の様子を十分に伺える事が出来ます。所謂、このお城は戦国時代の戦闘目的を十分にく残しており、非常に実戦的な城郭の構造をした貴重な遺構だそうです。

 

因みに、このお城は山陰地方では唯一の天守閣のあるお城で、全国の各所に多数ある中の城郭でも、戦国期の築城の様子が伺える当時の建物で、現存するのは全国でも12ヶ所のみで、その内の松江城も含まれているのです。

 

其の12のお城とは、北から青森の弘前城、長野の松本城、滋賀の彦根城、福井の丸岡城、岐阜の犬山城、兵庫の姫路城、岡山の備中松山城、香川の丸亀城、高知城、其れに愛媛の松山城、愛媛の宇和島城そして島根県の松江城であります。

 

松江城の歴史

松江城の歴史は戦国時代の慶長年間に始まり、初代城主である堀尾吉晴(茂助・秀吉子飼い、豊臣政権三中老の1人)から三代の忠晴にかけて、凡そ5年の歳月をかけて完成したものです。

 

特に堀尾吉晴は同年輩の加藤清正と並ぶほどの城普請が上手と言われていた武将であったという。吉晴の幼少の名は茂助といい、太閤秀吉公とは幼馴染でもあり大変可愛がられたようで、その穏和な人柄から「仏の茂助」とも言われていてとされます。

 

その後は徳川家康の孫の松平直政が、信州松本城から移封され、それ以来長期間の明治維新までこの松平氏が10代にわたる230余年に渡り凡そ20万石を領していました。

 

お城の石垣の下には其の名も緑の松に囲まれた綺麗なお壕や堀端があって、遊覧船或いは観光船が観光客を乗せて松江城の歴史などを説明しながら運行していることが判ります。

 

ブラタモリで紹介

先般、NHKの「ブラタモリ」でも松江城、其れに松江の事を創世記時代からの歴史を紹介していましたが、確かに、松江の町自体が水の都、水郷の都なのであります。

 

街の中心位置が巨大な宍道湖と中湖の間に挟まれたところであり、この湿地帯のような地域に住民がこぞって埋立てて都市づくり行った地域でもあるといわれているのです。

 

お城周りの城壕の堀川はその一部でもあるとされています。更に、松江という名称は中国の「松江」(しょうこう)に町並みが似ているところから名づけられたとも言われています。

 

お城の周りは古い町並みが軒を連ねていて、藩士の屋敷跡や小泉八雲などの著名人の館も残り、更に、情緒と雰囲気を盛り上げているのです。

 

 

「小泉八雲」といえば、ご承知でしょうが明治期の作家で、勿論、日本人ではありませんで、本来は欧州人で本名をパトリック・ラフカディオ・ハーンという名前でお馴染みです。

 

彼は此の島根県の松江や松江城を相当に愛していて住み着いてしまったほどです。 そして彼は此の松江のことを、「神々の国の中心都市」と言わしめたほどなのです。

 

又、松江城のお堀端の小泉八雲邸の直ぐ近くには「塩見古兵衛」というお屋敷もありました。

 

併せて、「塩見縄手」という看板が目に入りましたが、勿論、縄手というのはお城を築くときの縄張り(測量)のことで、江戸期の藩祖でもある松平氏の町奉行であった塩見古兵衛が松江城を縄張りし、改修したことにより其の名が付されたと言われています。

 

松江城の堀川は今も優雅な遊覧船(観光船)が水面をゆっくり滑って行ってます。

 

 

 

 

 

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