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理解できないお家騒動
いよいよ佳境に入ってきたな、という感じになってきた高嶺の花の第8話でした。 ただ、やっぱり、庶民の私には、このお家騒動が今一つ理解できないままにいるのですが。
結局のところ、やはり、こういった伝統の世界においては、血のつながりがすべてなのでしょうか。
ももは家元の実の娘ではなく、運転手と家元の妻との間にできた子ども、ということで、あくまでも、実の娘の才能を引き出すための存在として扱ったり、実の娘の才能を引き出すために、自分の妻をほかの男と浮気をさせ、さらに、それを娘の知るところとする、という手法というのも、凡人には到底理解をすることができません。
伝統芸の不思議
そこまでするか、というのが、率直な感想です。自分の家族関係や、親子関係、愛憎についても、すべては、その伝統芸を存続していく、そのためにだけあるのでしょうか。そのようなことを、このドラマを見ながら、ずっと思っています。
もう1点の疑問が、後ろ生けということです。これが、最初は意味が分からなかったのですが、それが何を意味するのか、行動としてはわかるのですが、その本質がやっぱりつかめないままです。華道家の人は、こういったことに深く苦悩するのでしょうか。お花を知らない人間だから、その意味の重要性が理解できないのでしょうか。
峯田さんの存在
そのようななかにあって、峯田さんの存在が、なんだかほっとさせてくれます。峯田さんのことは、NHKの連ドラで初めて知って、この人ってだれ?へたくそと思っていたのですが、このドラマにおいては、この何とも言えない、素朴な、へたくそな演技だからこそ、ある意味、純粋さを表現できるのかもしれない、そう思います。
このように、懐の深い愛情はどうやって生まれるのでしょう。どういう育ち方をしたら、このような人になれるのでしょう。この人についても、私のような、性悪の、何事も斜めにしか物事を見れない人間にとっては、ある意味不思議な存在です。地上の凡夫という設定ではありますが、到底そのように見えない、なにか、達観したかのような印象があります。
結局、プーさんとももとの関係はどうなるのか、わかりません。高嶺の花としての存在で居続けることが、二人の幸せなのか、それとも、高値の花と地上の凡夫との関係に何か進展を加えることによって、ももが華道家として、新しい道を発見していくことになるのか、そのようなことを第8話を見終わったあとに思いました。
できれば、わけのわからない、ある意味、品のない月島流のお家騒動など、とうに見限ってしまい、新しい世界を築き上げていってほしい、という願いも持っています。
高嶺の花を見逃した場合や最初から楽しみたい方はこちらの記事を参考にしてください。