秋保温泉の観光体験談!そのアクセスと歴史

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秋保温泉を観光した体験談やその歴史などをご紹介します。

 

目次

秋保温泉と「ホテルニュー水戸屋」

 

東北地方の秋保温泉は宮城県でも代表的な温泉場で、筆者自身は機会あるごとに観光に数度訪れているが、そんな中でも一番に印象に残っているのが、秋保温泉の中心街に有る有名な「ニュー水戸屋ホテル」でした。

 

NTTの職員時代の頃であったが、NTTが未だ公社時代の頃に東北の有名温泉地に社員旅行ででかけたときのことでした。

 

此のときの秋保温泉のニュー水戸屋ホテルはNTTの特別保養所でもあり、社員や職員たちはかなりの格安で利用できたのです。何でも一般の観光客の料金の二分の一か、三分の一程度の料金で利用できたのです。

 

目的地の秋保温泉の「ニュー水戸屋ホテル」というのは、秋保温泉でも湯元地区のほぼ中央に位置していて,記憶にあるのは道路の直ぐ向かい側に、秋保温泉の開祖とも言われる此方も大型ホテルの「ホテル佐勘」があったことでした。

 

其のニュー水戸屋の建物はホテル型の近代的のものでは有るが、館内は和洋折衷というか大きな手入れのよく届いた緑に囲まれた庭園が素敵で、室内も雰囲気と手入れの良く行き届いた玄関やロビーフロアー、さすがにおもてなしな気心と歴史を感じさせる重みが感じられるのでした。

 

尚、当時のNTTが公社時代に契約や特約している旅館やホテルといえば、大概は全国各地にある主要な観光地にあって、すべてが一流といわれている有名なところが主体で、職員の我々としては嬉しい限りなのでした。

 

当ホテルの最も自慢できるのは自慢の温泉浴場ではないでしょうか。其れ其れの雰囲気や趣の異なる大浴場が三ヶ所もあって、其の名も「水心鏡」、「月宮殿」、それに「梅の粧」などの区分けされているようで、其の温泉浴槽だけでも何と16ヶ所の趣のある湯巡りが可能で大いに楽しめるのです。

 

こうなると温泉や泉質で身体を癒すというより、浴場の雰囲気や浴槽の豪華さやデラックスなどで心・身をリラックスさせる効果と言って良いかもしれません。これこそ秋保温泉の湯量豊富な特徴を活かした正に温泉天国であったのです。

 

 

秋保温泉のアクセスと立地

 

さて、其の秋保温泉といえば勿論、東北地方でも宮城県の第1の都市であるの100万都市とも言われる仙台市に属していますが、その仙台の市街地の中心にある仙台駅からですと凡そ20km程度のところの山間にあります。

 

車ですと仙台市内の中心からでも混んでいなければ概ね30分ほどで着いてしまう近さであり、東北道の仙台南ICからですと秋保街道を辿れば凡そ4kmほどのところにあります。 従って、仙台市内の奥座敷とも言われていて、勿論、都会の仙台市街地の喧騒とはまったく無縁なところで、逆に自然いっぱいのところになります。

 

其の秋保温泉の自然といえば、温泉地を流れる名取川が大地を削って出来たとされる奇岩が並ぶ峡谷の名勝・磊々峡(らいらいきょう)や名取川上流部において落差が55m、幅6mもある東北の名瀑・秋保大滝などの観光地もあります。

 

何でも秋保大滝は国の名勝に指定されてて尚且、日本の滝100選の一つにも数えられているとされています。

 

その秋保温泉は、秋保と書いて「あきほ」ではなく「あきう」と読みます。此の温泉地は位置的には宮城県内でも中央部に在って奥羽の山脈みの麓にあって、其の奥羽を超えれば其処は出羽国山形でもあります。

 

秋保温泉の先には古来から二口温泉や奥羽山脈には二口峠があり、其処は平安時代か其れ以前から仙台と山形を最短でつなぐ二口街道が通っていてことも在って歴史ある街道でもあり、其のためにも、秋保温泉は江戸時代の頃に創業した老舗旅館が多く建ち並んでいるのです。

秋保温泉の歴史と位置づけ

 

元より秋保温泉自体は歴史も古く、飛鳥時代の頃には既に開湯されていたという説もあり、以前までは兵庫県の有馬温泉、四国愛媛の道後温泉、其れに此方の秋保温泉とともに日本の三名湯と評判をよんだこともあり、現在では福島の飯坂温泉、同じ宮城の鳴子温泉とともに当温泉は東北奥州の三名湯とされています。

 

温泉街は仙台中心から車でも30分程と極く近いところにあって、宮城県の観光といえば七夕祭りや青葉城、伊達家の遺構など仙台市内にも見るべき観光スポットは多いが、其の仙台周辺には日本三景の松島や有名温泉地の秋保温泉がなどもあります。

 

特に秋保は数100台を収容できる駐車場、数100人を収容できる客室など最高の価格とサービスを提供し、来賓客の接待にも用いられているケースが多いとされています。

 

従って、仙台郊外ということもあって高級ホテルや旅館が多く存在しているところでもあるのです。

 

其のような関係もあって、はるか以前までは秋保温泉は皇室関係者の利用する温泉場(御料温泉)の一つとして位置づけられ所謂、「御湯」の称号を賜ってきたともされています。

 

その御湯といえば名取の御湯(秋保温泉)、信濃の御湯(別所温泉)や三函の御湯(いわき湯本温泉)などと共に一時は日本の三御湯と称せられるようになったのです。

 

実は此れは余計ですが福島県の「いわき湯本温泉」といえば、筆者自身の生れた地であり田舎でも有るのです。確かに、此の温泉といえば開湯が奈良時代ともされている古湯で、いわき地方や浜通り地方では珍しい温泉ともされているのです。

 

名湯、古湯とされる秋保温泉は、その後は日本中から湯治客が集まってきたともいわれ、古き平安期から戦国期にかけて、この地域の領主からの指示で佐藤家が「湯守役」を勤めていたとされています。

 

特に伊達政宗の仙台入りしてからは藩主の御殿湯として整備されたが、この管理も佐藤家に任せらていれたというい、それが前述した現在の「ホテル佐勘」で、此の名将は始祖である佐藤勘三郎の名からきているとされています。

 

 

 

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